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2018.10.24

こんなところにサイネージがあったら...

こんなところにサイネージがあったら、有効に使ってもらえるのに、と思うことはよくあるが、たいていは先方に予算がない。パソコンでコンテンツを作るデジタルサイネージなら、予算はなくとも自分たちでコツコツとコンテンツを溜めていくことは可能かもしれないが、そういう動機づけをするには忙しすぎるとか人事労務上の制約が大きい。もし責任者が自分でヤル気を出せばやれないことはないのだが。

 

例えば私の住んでいるところにも小さな規模の保育園が増えていて、マンション立ち並んでいるところでは、1区画に一つくらいは設置されるようになった。だいたいは閉鎖した商店の跡地だったりして十分な広さや設備はない。保育士さんの人手も足りないだろう。こういうたくさんある保育園はだいたいは同じ時間帯に同じことをしている。ならば共通の保育番組を作ってネット配信すれば、個別にコンテンツを作らなくても使える。サーバーで保育園のID管理をしていれば、地域情報や自治体からの連絡などの個別の情報も入れられ、保育士さんの助けになるような使い方もできるだろう。

予算がないなら広告モデルでサイネージを提供したらどうかという考えもあるが、場所によっては広告は嫌われるし、また財布を持っていない保育園児を相手に何を売りつけるのか疑問である。これが美容院とか単価の高いサービスなら関連した商品も多くあるわけだから、広告モデルには向き不向きがある。もし広告モデルが可能でも、それをベースにコンテンツ提供を行っていくのは不安定で長続きしないということで、先方から信用されないかもしれない。

 

保育園向けのコンテンツとは、子供の遊びに関するものと、交通ルールや朝昼晩の生活全般に関して楽しく教えるものがある。すでに幼児本はいくらでもあるので、サイネージのコンテンツも自作しようと思えばできるはずだ。でも幼児本に専門の出版社があるように、子育てに何らかのビジョンをもって一貫したコンテンツ提供ができるバックボーンも必要である。

マルチメディアが登場してもう30-40年になるが、紙の出版社がデジタルメディアを提供するとか、出版社と連携してデジタルメディアを制作することは大変困難だった。その第一は収入モデルが違うからで、デジタルコンテンツのほとんどは書籍のようにまとまった収入にはならず、小銭がチャリンチャリンとなるので、これでは投資の回収の目途がたたないと判断されてしまう。

 

コンテンツビジネスでは紙からネットに移行したモデルは、情報誌、地図、レシピ、など多くあり、これからもどんどん移行は進むだろう。デジタルサイネージもそれに合わせて新たな利用分野が生まれてくることになろう。

2018.10.5

デジタルサイネージはメディアになれるか?

デジタルサイネージを広告モデルで回そうという試みは増えているが、それができるのは元々駅周りとか人目に付くところに看板を設置していたような広告代理店によるものが多い。そこでは以前からポスター・看板のお客さんが居たわけだし、掲示場所の価値もお客さんには認識されされているから、デジタルのメリットを付加すれば新しいモデルはできるのだろう。表示灯株式会社の4K画面『ハイレゾ・ナビタ』などは開発コストもかかっているだろうが、駅広告における同社シェアに基づくとビジネスの算段はつくのだろうと思う。こういう背景も無しに技術先行で広告モデルをするのは無謀だろう。

掲示場所の価値というのは、どういう人にどれくらい見てもらえるかという露出数が鍵だが、ポスターなどの場合はアルバイト君が近くに座って通行人の数をカチャカチャとカウントしている姿に見覚えのある方も多いだろう。ビルの壁面の大きなLEDビジョンの場合はテレビカメラで通行人の様子をモニタできるようにしていて、今ではソフトウェアでどの時間帯にどれくらいの人が通るかを自動カウントするものもある。こういうデータ化をした媒体資料をもってプレゼンしないと大手の広告はとりにくい。

 

要するに広告メディアとしての価値は、ちゃんと露出数をカウントできるか、またその真正性は大丈夫か、過去にさかのぼってトレーサビリティ(雑誌の場合は印刷会社の印刷部数証明とか)はあるか、などの要件を満たせるかどうかで大きく変わってくる。昔から町の広告代理店でもいろいろな広告露出の開発をしていたが、多くは『きっと着目される』という期待で終わっていて、『効果がなかった』ということで打ち切られるということを延々と繰り返してきたと思う。デジタルサイネージの場合はディスプレイの近くにカメラさえつければ、監視カメラのアプリも進んでいる今日であるから、カウントはできるようになるだろう。そうなればメディアの仲間入りといえる。

 

しかし、広告の営業とか運用を考えると、個々に設置されているデジタルサイネージごとに広告営業をしていたのでは割があわず、また広告出稿する方も付き合ってはいられない。街の至る所にあるサイネージ設置のプロフィールを一覧化して、広告出稿と広告媒体側のマッチングが容易にできる仕掛けが必要で、以前はそれが広告代理店であったわけだが、ITの今日では Airbnb Uber といったような無人化したマッチングサービスが出てくることになるのではないか。

 

とはいっても、それはすぐのことではないから、今すぐ広告モデルのサイネージをするとなると、不特定多数の広告出稿主を相手にするのではなく、むしろ特定分野に限定して商品とコンシューマのマッチングをするところが成功している。紙の媒体でいえば専門誌とか業界紙といったものだろうか。こういう分野はすでにモバイルマーケティングで行われているので、それを引っかけてサイネージの設置ができないかと模索している動きもある。つまりニッチなモバイルマーケティングと手を組んで売り場や店舗のデジタルサイネージで最後のクロージングに持ち込むのが望ましい。

サイネージネットワークは広告ビジネスをするわけではないし、その仕組を作るわけでもないが、そういうところを一緒にモノを考えていくようにならないといけないだろう。(例えば…というのはまたの機会に)

 

2018.8.3

サイネージに何が起ころうとしているか?

デジタルサイネージという分野は昔から多様で、商品棚の電子POPから、ビル壁面を使ったLEDビジョンまで、大小さまざまだった。これらを以前は大型商業施設や駅など露出の多いところで広告メディアとして使われているものと、企業・病院・学校・チェーン店などのインハウスの情報システムと、店頭の電子看板のようなスタンドアロン利用の3パターンに分けて考えることが多かった。広告メディアのコンテンツは広告代理店が扱うのに対して、インハウスのコンテンツはシステム任せだったりパワーポイントで利用者が自作するものだった。

サイネージネットワークではこういったコンテンツ制作に困っている層をサポートしていこうと考えていたのだが、コンテンツ以外の要素がサイネージ導入の障壁になることも多かった。以前にも書いたハードウェアの初期投資が大きくなることから、いったいデジタルサイネージの効果はどういうものかという議論に入り込みがちだった。しかしサイネージの効果測定をするというのは最終目的ではなく、ビジネスの効率化にどう寄与する使い方をするのかが問題である。その上でサイネージがふさわしく使われているかどうかを評価することになる。

 

これからのデジタルサイネージを考える上では、大きさや形態、設置場所の分類とは別の見方も必要かなと考えている。サイネージネットワークとしてはサイネージの使われ方ごとに、制作したコンテンツをどう活用してもらえるのか、というところに原点があるので、使われ方の変化を注視している。

最も目立つサイネージは今でも大型商業施設やまた最近ではスタジアムのような収容人数の多いイベント会場などであろう。ここにはいつも最新式のハードウェアが導入される。今ではサイネージはインテリアの一部分でもあり、内装とともに設計される。サイネージが置かれた施設に関連するSNSコンテンツが表示される場合もある。ARでゲーム感覚を味わうものもある。AIを使って映像から居合わせた人々の属性を把握するものもある。タッチパネルに代えて音声認識で多国語の応対をするものもある。要するに最新技術を駆使して、顧客満足度やマーケティングの向上をさせようとするもので、数年先の機器リプレースの際には同じものにはならない。こういうどんどん進化するものは先端技術型と呼んでもいいだろう。

 

一方で店舗の看板スタンドのようなサイネージは、お店のメニューが何年たっても変わらないのと同様に、あまり変化はないかもしれない。店舗側はあまりシステムもコンテンツもかかわらないので、放置型と呼んでおこう。

しかしハードはメディアプレーヤー内臓の電子POPならSDカードを、パソコンやSTB内臓のものならUSBメモリを差し替えているものが、次第にネットワークにつながった利用形態になろうとしている。店舗の側にはネットワークやシステムの費用を負担するつもりはないだろうから、これからは広告モデルにして、店舗の営業案内以外に関連商材の広告が流れるようなサイネージが増えていくだろう。そのためのインフラというのが最大の問題ではあるが、居酒屋だったらアルコールの広告は許可するといった風に、できれば相乗効果が期待できて、少なくともバッティングしないようにコントールできるようにして、広告で廉価にサイネージが使えるようになる可能性がある。

 

中間の企業・病院・学校・チェーン店などで、訪れた方のみを対象にするところは、それぞれ具体的な目的に合わせた使い方が求められて、ザクッと広告モデルとかが主にはならないと思う。企業なら情報伝達・教育、チェーン店ではキッズコーナーのような特化した使い方が広まりつつあるように、目的志向のコンテンツ制作になる。販促の場合でもどの期間に何をいくつ売るとか、売れ残りゼロにするとか、ビジネスと深くリンクしてTPOに叶ったコンテンツが発信できる仕組みを考えることになる。どちらかというとコンテンツマーケティングとかオウンドメディアに近いもので、組織側の取り組みに相当の熱心さが必要で、しかもちゃんとマネージメントしていかなければ成果はないので、マネージ型と呼ぼう。

マーケティングのマネージメントをちゃんとしなさいという提案をサイネージ利用の側から行うのは難しいかもしれないが、情報発信のスケジューリングや配信管理が小まめにできるネット/クラウド型のサイネージなら、ビジネスとリンクした使い方には向いているはずだし、一度軌道に乗ると次々に新たな課題も出てきそうだ。

 

他方、放置型は裾野市場が大きいようにみえても、コンテンツは広告主体のままで、店舗側の利用の仕方には進展はないかもしれない。インフラに関してはGoogleの広告ビジネスが入り込んでくる可能性もある。つまりネットにつながったサイネージなら広告収入があって廉価に使えるということで普及につながることも考えられる。

2018.4.20

アナログビデオとデジタルビデオ

デジタル放送やデジタルビデオに囲まれた現代人はデジタル映像に眼が慣れてしまっていて、アナログ時代のような画質差を云々することはめっきり減ってしまった。しかし何かの理由で古いアナログビデオを見ると違和感を覚えてしまうし、それらと今日のデジタルビデオソースを一緒に扱わなければならなくなると困惑するものだ。それはアナログビデオよりもデジタルビデオの方が画質がよいと思われる場合が多いからだが、実は必ずしもデジタルの方がきれいなわけではない。
テレビ放送の国際規格を決める委員会をNTSCといい、アナログのコンポジット信号としてもおなじみの名前であった。ここで色域とかガンマなど映像の規格も決められていて、昔のブラウン管テレビに走査線が並んでいた画面は【BT.601】といい、今日のパソコンやスマホのRGBであらわすと、0-255の間の16-235までしか使っていない。だからアナログをデジタル化したものは非常に明るいところや非常に暗いところには情報がないままになってしまって、明度が中心に寄った締まりのない映像になってしまう。これをちゃんと補正するとデジタルに見劣りないものになる場合がある。

 

そもそもパソコンで広く用いられている【sRGB】というカラースペースは、アナログなNTSCの色域の72%をカバーするものと定義されていて、アナログのNTSCの方が鮮やかな色情報を持ち得る規格なのである。しかしアナログビデオを新品の磁気テープに保存して再生すると、最初はバッチリきれいでも、アナログ記録では再生を重ねるごとに画質が劣化していく。一方映像をデジタル信号にして保存すると、0か1かの組合わせの情報は変化せずにいつも同じなので、テレビカメラがデジタルなら、そこで得られた色信号は、視聴者の画面表示までずっと変わらないことになる。つまり色に関するカメラの特性と画面の特性が合っていれば、被写体に照明された色を視聴者が見ることが出来る。これがいわゆるデジタルの鮮明さの理由である。
この【sRGB】は【BT.709】というハイビジョンの規格に合せているので、パソコンとデジカメのjpgなどとハイビジョンはほぼ似た世界になっている。これがRGBを0-255の間の値にしているので、アナログビデオはそのままでは使いづらいことになってしまった。

 

印刷の世界ではカラースペースは【AdobeRGB】というのが使われていて、これは【sRGB】よりも緑方向が広く、NTSCに近いもので、デザイナさんや製版印刷関係の方にはおなじみなので、今のグラフィック制作の中心にもなっている。だからAdobeのグラフィックソフトを使っている方は、あまり意識せずにデジタルビデオとかデジタルサイネージの仕事もしているし、両者の差であまり問題になることは実際にはないように思う。
アナログの時代の家電売り場では、テレビの色味は機種やメーカーが異なっていると差が出ていて、どれが綺麗?という売り方/買い方があったのだが、デジタルではどこもだいたい似たものとなったのは、放送や家電では個々のシステムの色合わせの土台となる規格が築かれてきたからだ。かつてはWebでの通販の商品の色は信用できないのが相場だったのが、今ではスマホでアパレルが売れる時代である。これがデジタル化の大きな恩恵で、一度作成したビデオソースがいろんなことに使えるようになった。

 

しかし、このパソコンとデジタルビデオとグラフィックソフトの蜜月ともいえる関係は、今後ずっと続くものかどうかはわからない。それは4k8k時代の色の規格は【BT.2020】という【AdobeRGB】よりも色域が広いものが標準になっていて、「自然界に存在する色はほぼカバーしている」といわれている。4k8kは単にデカいだけでなく、色の世界の革新にもなり得るもののようだ。だが現状ではカメラから編集システムからプロジェクターを含めた再生環境まで完全に【BT.2020】に対応しているわけではなく、既存の機器やシステムも使いつつ4kのデモが行われているので、【BT.2020】の真価はまだ見ることができないのだろう。

参考:放送・シネマ最新規格ITU-R BT.2020
http://cweb.canon.jp/v-display/lineup/dp-v2410/feature-performance.html

参考:4K・8K超高精細度テレビジョン放送の標準化動向 – 日本ITU協会
https://www.ituaj.jp/wp-content/uploads/2016/01/2016_01_10_spot1.pdf

2018.4.13

画面が大きいと何がいい?

この10年のデジタルサイネージを振り返っても、32型→40型→55型と大型化する傾向にある。さらにマルチでその3倍4倍も簡単に設置できるようになってきた。映像ソースも4k8kに向かうのだろうが、こちらはコンピュータでCG制作するならよいのだが、カメラから編集までのところはまだ手ごろな価格にはなっていないので、相当予算のつくところでないと導入はできていない。

そもそも画面を大きくするのは何のためだろうか? 迫力? 目立つから? これにはちゃんとした研究開発の積み重ねがあって、むやみに映像のスペックを上げてきたのではないことがわかる。論文としては、「高臨場感を生んだハイビジョン画面効果の研究」(https://dbnst.nii.ac.jp/pro/detail/241)に事の起こりが書かれているが、要約すると次のようになる。
HDTV(High Definition Television)は1960年代に次世代テレビの研究としてNHK放送技術研究所で始まり、1980年になると前述の研究によって、テレビの画面を横方向に大きくして広い視野で映像を見たとき、画面内の映像から受ける心理的な感覚・知覚量が大きくなって表示された映像空間に引っぱられるような効果、即ち臨場感効果が得られることが明らかになった。
これは誘導効果と呼ばれた。当時シネラマという3本のフィルムを横につないで撮影・映写するものがあって、崖っぷちに人が立つ映像を見ると身のすくむ思いがするような臨場感があった。

これを数値的にとらえる実験が当時アナログな方法で繰り返された。画面の左右両端を見込む視野角が20度を超えると次第に映像の空間に主観的な座標が誘導されるようになり、前述のように映像の空間に入ったような感覚、つまり臨場感の効果を心理物理量として捉えた。これをもとにHDTVはこの効果が顕著になる視野角30度を、望ましい観視条件とした。この理屈は今の8kにも引き継がれている。画面の縦横比は映画の縦横比も考慮して9:16 に国際統一された。

画面両端の視野角が30度での視距離は、画面の高さの3.3倍となり、画面高さを75cmとすると、2.5mになる。視力1.0の人の視覚の分解能は1分といわれていて、それを越える縦画素数としてHDTVの縦は1080にされた。横画素数は計算すると1920となる。

4k8kはHDTVの延長上に、さらに視野角の広い映像を提供するもので、それによって誘導効果が高まる、つまり臨場感がマシマシ・モリモリになることを狙っている。だから画面が大きく高解像になっても、遠くから眺めていたのではその効果は発揮できず、映画を前列で観賞するような視聴環境に変えなければならない。

 

これに関連して比較すれば、ビル壁面のLEDビジョンは確かに大画面だが、人は離れて見ているので 視野角は広くならない。つまり臨場感を出すことを狙っているものではない。単に街角で目立つことで目的は達成されるのだろう。

屋内のデジタルサイネージを大型ビジョンにするには設置の困難さを伴うというか、結構邪魔扱いされたりするものだが、裏腹に大画面を近くでみるということで臨場感・没入感をだすようなコンテンツには向いているということになる。その意味で屋外の大型ビジョンとはコンテンツ制作の考え方は異なる面がある。