トップ
「2018年2月」の一覧を表示しています。

2018.2.23

サイネージのコントラスト  コンテンツシリーズ⑤

昭和のムカシ、映画の看板は職人さんが手で描いていた。旅行していると同じ映画でも各地の看板に筆の差が出ていて、中には役者さんに申し訳ないほど似ていない場合もあった。

これは今のように写真を大きく伸ばすデジタル技術がなかったからでもあるが、写真よりも職人さんの筆の方が好まれた面もあった。親しみを持てるという点では似顔絵的でもあり、また迫力という点では劇画的でもあった。イケメン役はさらに美男子に、悪役はさらに残忍に、という表情の脚色もされただろう。

また実際のグラフィックスの効果としても単純な写真再現では看板として役不足で、下の右のもの写真なのだが職人の手が入ったレタッチになっている。

 

プロのカメラマンが綺麗に撮った写真でもレタッチ職人が筆でお化粧をしている理由は、写真は遠目で見た場合にボヤッと間延びした絵になってしまいがちだからだ。つまり写真に何か欠陥があるのではなく、こういう屋外看板が掲げられる場所の問題なのである。

白昼の太陽光の元ではくっきりとした陰影がつき、人の目にとってはコントラストの強い情景が晴れの日の屋外である。この強コントラストの情景に負けないようにグラフィックスを掲げようとすると、写真もすごくコントラストの強いものに直さなければならないからだ。

サイネージのコンテンツにの場合でも、屋外用はコントラストを強くすることは意識した方がよい。でもそれでサイネージが屋外で使えるというわけにもいかない。

サイネージを屋外に設置するのはいろいろと設備面のハードルが高くなるが、パネル設備の明るさや温度管理ということよりも優先して、いったいどういった向きに設置するのかというのが問題になる。

上の写真の街角でいえば、右に白い壁面がみえるが、おそらくそこは南向きで、そんなところで使えるような液晶ディスプレイはないだろう。正面に絵が描いていあるところがあるが、ここは西向きで西日はあたらないだろうから、デジタルサイネージもいける。もっとも日の出には照らされるだろうが、そんな時に看板を見ている人はいないだろうから問題ない。

逆にカメラの位置ではきっと西日が強烈にあたるので、夕方の人通りを対象にする場合は、あまりサイネージには向かない。夜間用ならよいだろう。

写真の左側の日陰になっている壁面は北向きで、手描きの看板なら目立たない場所なのだが、発光するデジタルサイネージの場合はむしろ見やすく好都合になろう。

 

実際には映像を制作する時点でサイネージの設置条件はわからない場合が多く、コントラストの不足とか過剰については、設置されたパネルのリモコンなどでの調整を行うのが関の山である。一方でショッピングモール内とか、ちょっと薄暗いホテルのロビーなどのような環境は屋内設置なのでコントラストを強めることは必要ない。

コンテンツの制作前にある程度設置場所が予測できたとして、屋外でもボヤケないコンテンツとしてどんな工夫があるのだろうか? それは写真中心よりもイラストとか大きな文字とかを効果的に使うことだろう。

2018.2.16

サイネージの動き    コンテンツシリーズ④

テレビコマーシャルや販促ビデオを基にしたデジタルサーネージは当初より有った。ビル壁面のLEDビジョンとか、スーパー・ホームセンターの棚にあるデジタルフォトフレームみたいなものである。またJR東日本のトレインチャンネルも次第にTVCFのようなスタイルが主流になってきた。これらを真似て、カラオケのイメージ映像のようなものをデジタルサイネージに垂れ流してしまったりは、していないだろうか?

一方でブランド品の店舗装飾のような場合は、紙のポスターのような『キメ写真』をバーンと大画面に出すようなものがある。この分野はデジタルサイネージになっても同様で、『キメ写真』を中心にしていろいろなイフェクトをかけて動画のようにすることで、ある雰囲気を出しながら、紙のポスターよりも着目度が高いものに仕上げている。美容院とか美術館などにも応用が効く方法である。

今日では動画を撮ることも簡単になったのだし、何も写真や静止画など使うことは無いのにという見方もあるだろうが、映像制作のプロがするのならともかく、尺の短いものでピシッとキマッたシーンをとるのも大変なのである。

紙のポスターを作る場合には、モデルさんの顔を中心に扱うのか、姿態を中心に扱うのかというのは、レイアウト上どちらかに絞らなければならないが、デジタルサイネージなら、①顔から姿態へ ②姿態から顔へ と視線の移動を簡単に作り出せる。映像制作と違ってモデルさんに何度もやってもらう必要はなく、むしろカメラマンは『キメ写真』にさえ集中してもらえばよい。その後は何らかのストーリーを作って、装飾品なり時計なりアパレルなりの商品やブランド名などにつなげていくのがデジタルサイネージである。

 

①にするか②にするかは、何を訴えるかによって変わるだろうが、いずれにせよ『キメ写真』をより印象深くする手法でもある。こういうビジュアルコンセプトをさらに深化させるところに動画を使い、それは沢山撮るということではなく、例えば、「まばたき一つ」「髪がふわり動く」「口元がゆるむ」「頬に笑みが」などわずかな動きをきっちり再現するだけで、見る人がドッキリ・ハラハラのキラー映像に仕上がるかもしれない。ちょうどTVCFのエッセンス部分の何秒かをぐ~っと延ばしたようなものなのだろう。

 

以上のことを言いかえると、忙しい映像のTVCFと違って、わずかな動きでも人の目が引き寄せられることを利用した映像作りがデジタルサイネージにはあるということだ。

実は人の目は図のように左右で180度ほどの視野をもつにも関わらず、本の文字を読むようなことが出来るのは中心の5度ほどしかなく、殆どのところはぼやっとした解像度しかない。しかし解像度が低いから鈍感というのではなく、自分の視野の中で起こる変化には機敏に反応できるようになっていて、横から何かが飛んできたとか、部屋の隅でゴキブリがカサコソ動いたようなことは検知する。だから街を歩いている時に、自分の向かっている正面ではなく、路傍にあるデジタルサーネージがちょっと動いているな、ということにも気付くことにもなる。

 

そしてデジタルサイネージに気付いてもらったあとはコンテンツ力の勝負になるので、『垂れ流し動画』で終わってしまうのか、『キメ写真・キメ映像』になっているのかで、お客さんを引っ張る力に大きな差が出てしまうだろう。

 

2018.2.9

サイネージのサウンド    コンテンツシリーズ③

すでに街のあちらこちらに動画のデジタルサイネージは設置されているので、画面が動いているからというだけで人の視線をひきつけられるものではない。だからといって動画の広告でよくみかけるものに、画面がゆるやかに遷移しているのに、無意味にうるさいBGMをつけて、人の気を引こうとしてものがあって、だいたいこういうのは印象がよくない。
強引な呼び込みみたいなものだろうか。店頭やイベント会場でも大きな音を出していると隣近所から文句が来ることがある。そういうことを配慮してか、デジタルサイネージの設置場所によっては音を禁止していて、せっかくBGMを作っても無駄になる場合がある。むやみに必然性のないBGMは付けるべきではないだろう。

 

しかしずっと音が出っぱなしのBGMではなくて、ナレーションを適切にいれるくらいなら、それほど周囲に迷惑にならずに、人が「おやっ!」と思って振り向いてくれる可能性はある。これも程度問題なので、設置場所にふさわしい語り口にしなければならないだろうが…

サイネージの動画がスルーされがちな場所においても、人の語りかけが聞こえたなら、通りがかりの人に認識してもらいやすい。つまりサイネージの画面の遷移とシンクロさせるように音でメリハリをつけるということである。

また画面が変わる際に効果音のジングルをいくつか決めておいて、それを使いわけることが行われる。語りとジングルによるメリハリで盛り上げていくのは、「さあ正解は!ジャジャーン」みたいにクイズ番組などでよく見受ける光景だ。

BGMの話に戻って、音楽をバックに流す効果というのは、サイネージの流れを分かりやすくするとか、リズム感をもたせることで、伝えたい内容をより高度に演出することが目的のはずである。

これは音楽の構成にそった映像つくりをすれば、両者がシンクロできるともいえる。つまり、前奏-16小節(例えばの話し)-後奏、のようなことを意識して、絵コンテも4小節x4というように設定したとして、絵コンテの展開を例えば、「えっ!」「ほんと?」「まさか」「行かねば!」、という4段階にわけて、音楽に乗せて映像も切り替えていき、映像のスレッドの尺も4小節づつの繰り返しにすれば、リズム感を産みだせるとともに、映像に対してナレーションとか掛け声やジングルもシンクロさせやすくなる。

そして、ナレーションの重要部分や掛け声のところは、映像の中にも文字化して出しておけば、たとえ音が出せない場所でのデジタルサイネージでも、無理のない流れでリズム感をもった映像にしやすい。

無音でも通用するが、音がだせたらもっと効果的、という作り方がよいだろう。

 

2018.2.2

サイネージのフォント    コンテンツシリーズ②

印刷の特徴は新聞に代表されるように、短時間に多くの複製を作り出せることにあるが、印刷物の配布はトラックに積んで行わなければならないために、頻繁に変更がある情報伝達には向かない。しかし今日の印刷は500年の伝統があり、その中で文字や図像に関するさまざまな表現技法が開発されてきた。それらは現代では紙にとって代わった新しいメディアであるテレビ放送のような動画やWebの世界でも引き継がれている。時代と共に情報伝達技術は変わっても、表現技術・技法はそれほど変わらない部分もある。

電子メディアにおける文字の扱いは、電子メディアの登場時点では文書作成にフォーカスしていたのが、パソコンの時代になってさまざまな印刷物もパソコン上で作成できDTPになったのが1990年代。それまでプロの印刷用フォントでしかグラフィックデザインができなかったのが、デザイナがパソコンで仕事できるようになり、テレビのテロップなども斬新な雰囲気になって大きく変わってしまった。しかし残念なことに街のデジタルサイネージには、この流れに取り残されてしまったものも見受ける。

例えば、よくデザインされたフォントを単にパソコン上に移しただけでは、下の写真の左のようになってしまうことがある。一方印刷で培われたフォントの扱いである、文字の間隔や並べ方のコントロールの技法(タイポグラフィーという)は、広告宣伝物を通じて人々が日常目に触れるいたるところにあって、一般人の美意識にも染みついている感覚である。それからするとpowerpointで作ったようなPOPは間延びしたものに見えてしまうことになる。

POPがパソコンで簡単にできても、店頭では手描きのPOPの方が味があるからという理由で、店員さんがPOPの上達に励んでいるのが現実である。確かに上の左の写真のようなPOPを作るくらいなら、自分で文字を描いた方がカッコイイものが出来ると思う人は多いだろう。

 

デジタルサイネージでも同様で、月並みなパソコンPOPのようなもので安直に制作していては、色とりどりのマーカーやチョークで手描きする看板からは見劣りしてしまう。しかしグラフィックに凝れば凝るほどよいと言いたいのではなく、機敏に情報を発信する上では制作スピードが第一なのである。だから、手元のパソコンも活用しながら、デジタルサイネージの印象が陳腐にならないように、ところどころにはピシッと締まったタイポグラフィーも見せるようにしたいものだ。