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「2018年2月」の一覧を表示しています。

2018.12.28

多面的に、重層的に

その昔、デパートのいろんなPOPを制作していた時、プロ野球の日本シリーズでどこが優勝するかという段階ではテンヤワンヤであったことを思い出す。優勝のあくる日から記念セールが始まるのだが、『日本一!』というのと『ご声援ありがとう』では売り場の熱気は天地のひらきがある。しかし前日までどうなるかわからずに商品もPOPも両用で揃えておかなければならない。そしてPOPの方は必ず半分はゴミになる。いずれにしても会社としては売り上げはたっているので、構わないといえばそうなのだが、いろんな意味でもったいない。

もしデジタルサイネージがあったならば、POPは半減させて、もっと直近の情報を使った表示ができただろうなと考えた。やはり事前のコンテンツ作りで若干の無駄は生じるが、ゴミにはならない。文字表現などメッセージ性のあるところはデジタルサイネージまわして勝敗によって差し替え、実際の飾り付けのところは勝っても負けても共用に作っておけば、設置も早い。これでPOPの無駄も防げる。

 

しかしこういう大イベントの時だけたくさんのデジタルサイネージを駆使するということもできず、日ごろから使えるようなデジタルサイネージであって、しかも大イベントの時は総動員して大きな盛り上げにできるのが良い。そういう構造の設計はまだデジタルサイネージではなかなかやらせてもらえない分野である。

 

たとえていうと、建物に人が入ってくる『エントランス』と、婦人服コーナーのような何等か共通項のある『ゾーン』と、その中に位置する個別の『店舗とか売場』という3層の表示をどう関連づけるか、という問題整理をしなければならない。それには、現状では建物やテナントを管理する会社と、フロアプランを担っている会社と、商取引を行う店舗という、異なる会社が連携する必要もある。

『エントランス』によくあるのが館内案内であり、ゾーンや店舗のマップとかをデジタルサイネージで表示している。これはこれで完結しているものが多いが、本来なら各『ゾーン』の出入り口などのサイネージとコンテンツが連動できるようになっていて欲しい。

つまり『ゾーン』のあるメイン表示を変えると、館内総合案内に出てくるゾーンの説明用表示が変わるような仕組みである。これは同時にゾーンの案内表示と各店舗の表示とも連動していて、店舗の休みや入れ替わりに自動/半自動で対応することにもつながる。

 

もしこれらが連動できないとなったら、紙の垂れ幕の『優勝おめでとう』ならエントランスもゾーンも店舗も全部に貼れるのに、サイネージではそう簡単にはいかないとは言えないから、それぞれのサイネージのコンテンツ更新は非常に煩雑になり、特に大イベントでいろんな表示を総動員で入れ替えるような時はギブアップになるかもしれない。

 

今何らかの対応をしなければならないなら、エントランス、ゾーン、店舗のサイネージそれぞれに、コンテンツを共通に使えるテンプレートを用意して、素材の流用に手間がかからないようにするのが関の山かもしれない。

 

 

2018.12.21

コンテンツとは何ぞや?

ネットが普及した今日でこそ、コンテンツという言い方もよくされるようになったが、日本語にするとどうなるのだろうか? 英語のコンテントは単に『中身』程度の意味だから、何らかの形容詞がついて、adult content とか free content などとは使うが、何も形容しないで『コンテンツ』を作るとか、『コンテンツ』が欲しいとかは言わない。また中身は有形無形何であってもコンテントなので、それ自体が具体的に指すものはないだろうと思う。
このコンテントの曖昧さこそが、『デジタル・コンテンツ』という表現にぴったりだったということだろう。アナログの時代は異なるメディアを組み合わせて使うことは難しかったが、データがデジタルになってしまうと、すべてが0と1の並びになり、いわゆるどんなメディアでも一緒に扱えるようになった。そこでマルチメディアなデータのことを『デジタル・コンテンツ』と苦し紛れに呼ぶようになったように記憶している。

それはともかく、曖昧さのあるコンテンツは便利な言葉である反面、一般の人にコンテンツといっても通じにくいと思う。コンテンツ産業とか、コンテンツを作ります、と言ってもピンと来ないだろう。我々もデジタルサイネージのコンテンツ云々ということは内輪ではよく言ってきたが、営業局面ではコンテンツという言葉をもっと具体的に内容を示すものに置き換えて表現するべきだ。
たとえば『販促用ショート動画コンテンツ』とか『アニメ教材コンテンツ』とか『館内案内コンテンツ』とか『インテリアの環境映像コンテンツ』などなどとなるだろう。ところが同じデジタルサイネージでも、銀行や病院の情報表示はコンテンツとは呼ぶことはない。またWeb(HTML)を表示している場合もコンテンツとは言わない。とすると、わざわざコンテンツと呼ぶものは、何等か人手でひとつひとつ作りこんでいるものを指すようだ。

 

タッチパネルがついていてインタラクティブな仕組みがあるとか、今後はAIを使って人と応答するヴァーチャルマネキンなども増えるのだろうが、これらも基本のグラフィックデザインは人手で制作しても、自動応答のシステムとして稼働する場合はコンテンツとは呼ばないだろうと思う。
要するにデジタルサイネージにおける『コンテンツ』とは、グラフィックデザインに非常に近い言葉になっている。つまりデザインのディレクションをする人と制作をする人の協同でなされるものとなる。それなのに『デザイン』を強調しないで『コンテンツ』と呼ぶのは、サイネージでは多くの場合に他のメディアで考えられたデザインの派生として制作されることが多いからだろう。その理由はメディア利用の経費配分において、一番あとまわしになっているのがデジタルサイネージだという現状からきている。

このことは、デジタルサイネージがメディアとしてまだ独り立ちしていないことを意味している。まだ当分の間はこのような状態が続くのは致し方ないが、デザインの派生だけでは同時にデジタルサイネージの利用範囲を狭めてしまうことになる。デジタルサイネージの可能性拡大という視点では、まだ他のメディアが使いにくいところに用途を見つけていく必要がある。その兆候というのもたくさんある。たとえば『こんなところにサイネージがあったら...』で書いた出版物のようなモデルである。これは幼児からビジネス用から高齢者向けまで、すでにいろんな取り組みがされている。
この場合の難しさは、すでに必要なコンテンツを保有しているところに対しては制作サービスは可能であるけれども、コンテンツホルダーが別にいる場合は許諾を取らなければならない点でひとつの壁がある。従来のデジタルサイネージはデザインの派生という点で広告業界と協同する面があったが、これからはコンテンツホルダーと協同して新たなビジネスを開拓していくという方向もあるだろう。

2018.12.14

顧客のことを知る努力

営業の際に顧客の視点で提案するのは当然としても、無責任な提案をしている例が多く見受ける。それは顧客の気を引くために何か新鮮な話題を提供しなければならないという思いからくるのかもしれない。“デジタルサイネージはこんなにスゴい!”という主旨の某書籍には、小売店のPOSレジのデータを使って、品薄なものと余り気味なものを分析して、余り気味なものの販促をデジタルサイネージでリアルタイムでするとか、気温によってプッシュする商品の表示を変えるような提案がある。こういうアイディアをいっぱい話し合うことの意味はあるのだが、それで商談が進むようには思えない。

上記の提案は、商品仕入れや在庫の調整の話であって、そこにデジタルサイネージが割り込んで引っ掻き回すわけにはいかないだろう。もし上記のような販促メカニズムを既に考えている小売ならば、すでにPOPやノボリなどアナログな方法で対応しているはずである。

もしデジタルサイネージの営業が小売店を観察していて、そこで行われている販促のノウハウに気付いたならば、それに関連したデジタルサイネージの活用を提案するのは正しい。つまり起承転結の「起」と「結」だけをくっつけたような提案にすると無責任と思われてしまう。

 

この問題を整理すると、①今すぐ効果があること、②次ステップで何をするべきか、③将来にわたってめざすところ、というのを混同させないことだ。つまり目標を直近、来期、中期にわけて整合させて作っていく必要があるので、それぞれのスコープにおいて、顧客の販売計画、戦術戦略、企業理念を理解したうえでないと、顧客が身を乗り出して親身に検討する良い提案にはならないはずだ。

難しいように思えるかもしれないが、これらのアバウトなことは平たく考えれば顧客のWebサイトとか会社案内、決算資料などからざっとは読み取ることができる。提案のアイディアが浮かんだとしても、やはり顧客のことを知る努力をしてから提案を練る必要がある。

 

2018.12.6

大きなお世話、に注意

昔から、コンサルティング営業とか提案営業とかいわれ、客先のビジネスの助けになるようなストーリーをからめて自社製品やサービスを売り込むことが行われている。もっと進むと『ソリューションを売る』というような顧客の問題解決に踏み込むビジネススタイルがある。しかしあまり提案の風呂敷を広げすぎると逆効果になるだろう。「いったい何の権限があって、人のビジネスに口出しするのか?」と思われてしまうからだ。

そもそも提案営業の基本は顧客をよく知ることから始まるもので、よく知りもしないで押し売り提案しても無駄である。他社のサクセスストーリーやコンサルタントの講義などで見えないのは、どのように顧客と接して会話し、情報を整理しているかのところであって、そこを割愛した話を聞いてそのあとのソリューションの部分だけに「なるほど」と思っていまうことには注意しなければならない。

どこでもお客さんの接待はしていて近況はつかんでいるのだろうが、それと情報分析は別である。お客さんの同業社、特に競合社がどういう状態で、何をしようとしているのかなども客観的に抑えておく必要がある。おそらく最も顧客の意識の中に強くあるのが競合との差別化のことだろう。つまりお客さんがなぜそんなことを言っているのかの意味が理解できるような情報の下地をもつことである。

 

大きなお世話にならない提案というのは、起承転結の『起承』の部分において、顧客の心の内を代弁するようになっている必要がある。言い換えると、起承の部分で顧客が「そのとおりだ。ウチのことをよく理解してもらっている」と思ってもらえれば、その先の転結の提案部分も耳を貸してくれるが、最初の起承の部分で、「ウチの事情も業界の事情も知らんくせに、勝手なことを言っている」と思われると、その先の提案がいかに優れたものでもウソ臭いものに思われてしまう。

 

顧客の競合社のことを露骨に表現しなくても、顧客が競合社のことを思い浮かべるようになっていればよい。そのような要素を提案に入れるためには、当然ながら顧客と競合社の比較研究をしなければならない。ただそれは競合社を負かすという視点ではなく、それぞれの進む道がずれている場合も多いので、各社の個性を伸ばすという視点の方が無難である。もしかすると競合社ともビジネスをする日が来るかも知れないからだ。