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2019.1.24

案内システムのカオス

東京駅周辺は、日本のデジタルサイネージが最初に大規模に使われだしたところであり、今ではどちらを向いても何らかのサイネージが見受けらえるほど面数も増えている。また昨年からディスプレイのリプレースで新しい設備にも入れ替わって、きれいな表示も多くみられる。

とはいってもデジタルサイネージの完成されたモデルかというと、どうもそうでもないようだ。いくつかの課題が見受けられて、それは今後デジタルサイネージが普及するであろう他のところにとっても悩ましい問題になりそうだ。

 

まず観光案内とか、施設・フロアの案内に使われるデジタルサイネージは、未熟さを隠せず、実際に人がどんどん利用しているようには見えない。この問題はあらためてとりあげる。

第2はデジタルサイネージ以外の表示物とデジタルサイネージの役割分担についてであって、サイネージが増えるとともに似たような情報があちらこちらに出てしまうことと、それでもデジタルサイネージが勝ち残ればよいのだが、むしろ何のためにデジタルサイネージにしたのかわからないものとなると、かえってデジタルサイネージが撤去されてしまうかもしれない危惧もある。

上の写真は丸ノ内線東京駅の改札だが、左端のサイネージは東京メトロが路線図や運行情報を表示させるために設置したもので、広告は載っていないのだが、左端に時刻や天気予報などの載せている。

その右には日付曜日を見せて、下に広告を取っているボードがある。その右には事故情報を書き入れるホワイトボードがある。改札の位置から見ると、一番重視されているのがホワイトボードで、デジタルサイネージが最も遠い位置にある。これはどうしたことか? 日付曜日付広告よりも分が悪い。

 

デジタルの情報表示システムなんだから、大体これらは一つの運行案内にまとめられそうなものだが、関係者がそういう大きな見直しをする前にデジタルサイネージの発注がされてしまったのであろう。つまり事故対応とか広告とか個別の事情とかしがらみの中でデジタルサイネージも動いているわけだ。

大義名分としてはデジタルサイネージにすると災害時にNHK緊急放送が流せることであるようだが、そのために日常はあまり活用されなくてもよい、とうのは筋が通らない。

 

次の写真も『世に貼紙のタネはつきまじ』と共通する問題だが、ビルの入り口には何かと案内板が増えていく例である。こういうことが起こる事情というのも十分分かるのだが、それでもデジタルサイネージがちょっとでも解決に近づくような例であってほしい。

おそらく左の大画面が最初に作られたのであろう。これは丸の内エリアにある108のサイネージに共通に流している『番組』のようなものであって、広告媒体というよりは、それぞれの時期に合わせたイベント案内や、作りこんだコンテンツが流れている。そして災害時にはここにどのようなものをどういうルールで流すかという緊急オペレーションも決まっていて、NHK緊急放送も流せる。

だがしかしこのパネルがはめられているビルの案内はここにはなく、右の掲示板や別のデジタルサイネージによる館内案内が置かれている。我々はスティーブジョブズではないので、統一的な美観を最優先にして、現状のしがらみを問答無用に切り捨ててしまうことはできず、複数のサイネージがあってもしかたないか、程度には思うが、来館者への案内について関係者の間に統一的なポリシーができていくような話し合いを始めないと、上記2例のような雑然とした、どこをどう見ればよいのかわからない案内システムのカオスに落ち込んでいくのだろう。

2019.1.18

世に貼紙のタネはつきまじ

数年前に新築移転した某総合病院は、来館者の受付から最後の支払いまで、ほぼ自動販売形式で事務の省人化していて、かなり人の流れはスムースになっている。来館者の案内・誘導もいくつかのデジタルサイネージとか表示システムになっている。さすがだなあ、と思っていたが、このところ次第に紙の貼紙が増えてきている。

ここのデジタルサイネージは大別して2種あり、上記写真のような診察の案内は、予約システムと入館時のカード処理などから自動化して表示されている。一方で通路に縦型のデジタルサイネージがあり、そこには以前は紙の貼紙であった諸案内がローテーションで表示されている。それは交通案内とか路線バスの時刻表とか、フロアマップとか、ほぼ内容が変わらないようなものである。これは全く手作業でJPGとかを張り付けていると思われ、動画は基本的にはない。

 

こういうデジタルサイネージに対して、追加されている貼紙は、個々の検査室や診察室など、全館対象ではない追加事項とか、短期間の案内や変更が多い案内などアドホックな内容である。技術的には診察案内のところにアドホックな内容も表示できるので、そうすれば診察待ちでヒマな人はきっと読んでもらえるはずだ。

しかし診察案内のシステム化したデジタルサイネージには、アドホック的な案内が追加しにくいかできない構造になっているのだろう。アドホックな貼紙は、それぞれの部署の判断で貼ったり付け替えたりしなければならないから、システム的なものに情報登録する方法とは運用上の相性がよくないのだろう。

 

一般にデジタルサイネージの配信システムでは、割り込み表示の機能などがあって、スケジューリングやプレイリストの設定をこえて、一時的に別の表示を出せる仕組みがある。防災情報などのことも考慮しているからである。

問題はシステム的な案内表示にそのような割り込み表示があるかどうかと、その割り込みの仕方が簡単かどうかだろう。貼紙をするかどうかの判断は医師がするのだろうが、実際の掲示は事務担当者がするのだろうから、どの事務担当者でも操作可能なアドホックの表示機能があればよいことになる。おそらくこのことは企業や学校の内部のデジタルサイネージにも共通していると思われる。

2019.1.11

テクノロジー vs 伝統

昨年暮れのクリスマスのイルミネーションを見ていると、どんどん派手になるのではなく、どちらかというとクラッシクな雰囲気に戻りつつあるのではないかと思えることがあった。地元吉祥寺駅前のイルミネーションは過去にいろんなLEDがどんどん増える方向にあったのが、近年は昔ながらのツリー状のものが定着しつつある。これはヨーロッパの街並みにも通じるような雰囲気がある。

一方で商店街のサンロードの方は天井にLEDが飾られてきたが、これもド派手なものではなく、線香花火に近い。いずれにせよサイン・ディスプレイが出しゃばり過ぎないような配慮がされているように思える。

 

一方ドバイやバクーやシンセンなど新興都市ではLEDでビル全体を囲んだような、プロジェクションマッピングにも似たディスプレイが増えていることを以前に書いた。こういった街々はそもそも低層ビルの屋上にネオンサインの広告がない。なにしろ何もなかったような土地に突如高層ビル群が現れた街なのだから当然である。かたや日本は低層ビルにネオンサインというのが元の姿なので、それを取り去ってまでビル全体をLED化するのは難しいだろう。

 

すでに日本でもLEDストリップによるビル壁面の大型ビジョンがあちこちにみられるようになってきた。しかしそこで表示されるものはきっと世界の新興都市にあるようなものとは異なったものとなるだろうと思う。

上の映像は新宿にあるものだが、スマホのカメラで撮ったらモワレが大胆にでてしまった。コンテンツはまだある意味ありきたりで、特段インパクトがないというか、むしろ1インチ間隔のLEDストリップの粗さがかえって目立ってしまうような絵柄を選んでいるのが気にかかる。つまりこのようなデバイスの場合はきれいな写真を再現しようということではなく、素朴なクリエイティブをした方が見栄えが良くなるのではないかと思った。

 

またこういった新技術の設置をした最初の段階は、技術デモンストレーションの印象が強く残っているので、新規なコンテンツを作りたくなるのだろうが、次第に景観との調和とか、商品・サービスとの調和の方が重要視されるようになって、クリスマスツリーが落ち着きを取り戻したように、無理のないコンテンツに収束するのだろう。

2018.12.14

顧客のことを知る努力

営業の際に顧客の視点で提案するのは当然としても、無責任な提案をしている例が多く見受ける。それは顧客の気を引くために何か新鮮な話題を提供しなければならないという思いからくるのかもしれない。“デジタルサイネージはこんなにスゴい!”という主旨の某書籍には、小売店のPOSレジのデータを使って、品薄なものと余り気味なものを分析して、余り気味なものの販促をデジタルサイネージでリアルタイムでするとか、気温によってプッシュする商品の表示を変えるような提案がある。こういうアイディアをいっぱい話し合うことの意味はあるのだが、それで商談が進むようには思えない。

上記の提案は、商品仕入れや在庫の調整の話であって、そこにデジタルサイネージが割り込んで引っ掻き回すわけにはいかないだろう。もし上記のような販促メカニズムを既に考えている小売ならば、すでにPOPやノボリなどアナログな方法で対応しているはずである。

もしデジタルサイネージの営業が小売店を観察していて、そこで行われている販促のノウハウに気付いたならば、それに関連したデジタルサイネージの活用を提案するのは正しい。つまり起承転結の「起」と「結」だけをくっつけたような提案にすると無責任と思われてしまう。

 

この問題を整理すると、①今すぐ効果があること、②次ステップで何をするべきか、③将来にわたってめざすところ、というのを混同させないことだ。つまり目標を直近、来期、中期にわけて整合させて作っていく必要があるので、それぞれのスコープにおいて、顧客の販売計画、戦術戦略、企業理念を理解したうえでないと、顧客が身を乗り出して親身に検討する良い提案にはならないはずだ。

難しいように思えるかもしれないが、これらのアバウトなことは平たく考えれば顧客のWebサイトとか会社案内、決算資料などからざっとは読み取ることができる。提案のアイディアが浮かんだとしても、やはり顧客のことを知る努力をしてから提案を練る必要がある。

 

2018.12.6

大きなお世話、に注意

昔から、コンサルティング営業とか提案営業とかいわれ、客先のビジネスの助けになるようなストーリーをからめて自社製品やサービスを売り込むことが行われている。もっと進むと『ソリューションを売る』というような顧客の問題解決に踏み込むビジネススタイルがある。しかしあまり提案の風呂敷を広げすぎると逆効果になるだろう。「いったい何の権限があって、人のビジネスに口出しするのか?」と思われてしまうからだ。

そもそも提案営業の基本は顧客をよく知ることから始まるもので、よく知りもしないで押し売り提案しても無駄である。他社のサクセスストーリーやコンサルタントの講義などで見えないのは、どのように顧客と接して会話し、情報を整理しているかのところであって、そこを割愛した話を聞いてそのあとのソリューションの部分だけに「なるほど」と思っていまうことには注意しなければならない。

どこでもお客さんの接待はしていて近況はつかんでいるのだろうが、それと情報分析は別である。お客さんの同業社、特に競合社がどういう状態で、何をしようとしているのかなども客観的に抑えておく必要がある。おそらく最も顧客の意識の中に強くあるのが競合との差別化のことだろう。つまりお客さんがなぜそんなことを言っているのかの意味が理解できるような情報の下地をもつことである。

 

大きなお世話にならない提案というのは、起承転結の『起承』の部分において、顧客の心の内を代弁するようになっている必要がある。言い換えると、起承の部分で顧客が「そのとおりだ。ウチのことをよく理解してもらっている」と思ってもらえれば、その先の転結の提案部分も耳を貸してくれるが、最初の起承の部分で、「ウチの事情も業界の事情も知らんくせに、勝手なことを言っている」と思われると、その先の提案がいかに優れたものでもウソ臭いものに思われてしまう。

 

顧客の競合社のことを露骨に表現しなくても、顧客が競合社のことを思い浮かべるようになっていればよい。そのような要素を提案に入れるためには、当然ながら顧客と競合社の比較研究をしなければならない。ただそれは競合社を負かすという視点ではなく、それぞれの進む道がずれている場合も多いので、各社の個性を伸ばすという視点の方が無難である。もしかすると競合社ともビジネスをする日が来るかも知れないからだ。